上郷の文化財
熊野神社大スギ
熊野神社境内にある大杉は、国指定天然記念物で樹齢1,500年以上とも言われ、目通り10m。昭和2年に指定を受けた当時は、高さ45mもあり県内第1の巨樹であった。その後、落雷や台風による被害を受けて、現在の高さは約24mになった。
不二軒の懸仏
直径43㎝の鏡板の中央に聖観音、向かって右に妙味菩薩、左に軍茶利明王を配し、室町時代の作と言われる観音三尊懸仏。庄内においては最も大きく中央の聖観音像は、手足がはめはずしでき、県指定文化財になっている。不二軒の前の山を丸山と呼んでいるが、寺伝によると、後三年の役(1083)の時に清原武衡・家衡軍の本拠として一夜にして築いた山であるという。
水上八幡神社
祭神はくらおかみのかみ外5柱。明治41年内務省より特別保護建造物に指定を受け、当時の担当者によれば本社は「3間社通造、屋根茅葺にして、室町時代中期(1450)の建築の特色を有し、東北無二の足利建築なり」と称賛された、国指定重要文化財になっている。
熊野長峰湿原群
熊野長峰は、標高430m、大小8ヵ所の湿原が点在。高山性植物マンネンスギ、北限に近いギフチヨウ、南限に近いエゾミドリシジミなど寒暖両種が生息し、学術的に貴重な湿原として、昭和62年12月に市の天然記念物に指定された。
荒倉神社
保食神(うけもちのかみ)をまつり創建は養老元年(717)と伝えている。荒倉修験が始まったのは、平安時代の中頃からで、だんだんと盛んとなり宿坊も増え、西羽黒といわれるようになったという。、荒倉大権現と呼ばれた頃、別当寺で観頂寺という寺が建てられたのが応永17年(1410)で、石造聖観音はその本尊であったと推定される。天正18年(1590)に検地に反対したため打撃を受けたが、明暦元年(1655)に社殿を再建したとされる。
延命地蔵尊
江戸時代、越後の家畜商が民衆の救済を祈願し、供養塔として建立したものといわれる。石造で高さ2.3m、台座1.0m、右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。
宮泉寺
ヒサカキ
宮泉寺の奥の院に御影堂を建立の際に記念樹として、植樹されたものと伝えられている。樹齢約350年位、樹高8.0m。昭和60年10月に市の天然記念物に指定された。
須恵器窯跡
通称あま池と呼ばれている周辺には11基もの窯跡が発見されている。県の史跡に指定されている1号窯跡は、傾斜地を利用した半地下式無段登窯で、全長11.46mにもおよび、日本有数の大きさの窯跡であるという。この窯跡の年代については、これまで9世紀(平安中期)とみられていたが、平成4年の調査報告では8世紀中頃か、それ以前にさかのぼる可能性もでてきたという。矢馳、助作遺跡などからもここで焼かれたとみられる須恵器が出土していること、さらに赤焼土器も大量に出土していることから、かなり後世まで焼いていたと考えられる。
東源寺
大佛
古来、西目のお釈迦様として崇敬されてきた木造釈迦如来座像である。座像の高さは2.45mもあり、県内最大の仏像といわれている。このお釈迦様には、さまざまな伝承が伝えられているが、専門家の調査では室町期(1338~1573)の作と推定され、昭和62年に市の文化財として指定されている。
山門の格子天井の絵画は、中国の有名な「24孝」を描いたもので、画家でもあった淀川寺の円澤(えんたん、1817~1901)和尚が描いたものという。
東源寺は釈迦堂とも呼ばれ、作家横光利一ゆかりの寺である。小説「夜の靴」のなかで、唯一本名で釈迦堂の住職菅井胡堂和尚の名前が登場する。
横光利一は疎開中、何度かこの寺を訪れ菅井和尚とも歓談をしている。ここにも横光利一の文学碑がある。